第3部 #1

1.終息の知らせ

ところどころ照明が消えたオフィスでは、数人が残って仕事を続けている。壁にかかった大型の電波時計の針は午後8時を指している。窓の外には、夜空に浮かぶレインボーブリッジ、間近を通る首都高速道路を走る車のヘッドライトがイルミネーションのように右へ左へと流れている。日中の騒がしさが去り、普段は気に留まらない空調の送風口から流れ出る風の音と、誰かがキーボードを叩くカタカタという音が、程良く耳に馴染んでくる。

プルル、プルル、プルル・・・

内線電話の着信音が、不意にオフィスに響いた。
ディスプレィに映る数字と格闘していた堀下麻紀は、着信音に気付いて顔を上げると、隣の席で端末をシャットダウンしている仲山英太に目で合図を送った。

仲山「本日の営業は終了しました」
堀下「も~・・・」
私は忙しいんだから、帰ろうとしているあなたが電話に出るのが当然でしょ、と言わんばかりの堀下は、顔をしかめながら電話をピックアップした。
堀下「はい、IT企画部、堀下です。はい・・・あいにく次長は今、席をはずしておりますので、私でよろしければご用件を承りますが・・・え?あぁ、不買運動の件、ですか・・・ちょっと詳しい話は分からないのですが・・・はい、分かりました。折り返しお電話するように次長に伝えます。」

堀下「広報部長・・・何だか、嫌な感じ」
堀下は眉間にしわを寄せながら、電話を切るとひとりごちた。
そして、さらさらと伝言票を書くと仲山に手渡した。
仲山は2つ向こうの次長の机上にそれを置きながら言った。
仲山「なんだよ、何か言われたのか?」
堀下「ううん、別にいいんだけどね。お前には用は無い、みたいな雰囲気ありありでさ、どれだけ偉いのよ」
仲山「まあ、そうカリカリするなって、広報部長は十分偉い。・・・なあ、麻紀さんも今日はそろそろ終わりにしてさ、一杯飲んで帰ろうぜ」
堀下「今日は遠慮しておきます。明日の会議の資料、もう少し直したいから」
仲山「ふう~ん、そうかぁ・・・腹減ったし、喉渇いたなぁ」

仲山が椅子にもたれ掛かって天井を見上げたとき、次長の名間瀬勝也が席に戻ってきた。
仲山「あぁ、名間瀬さん、たった今、広報部長からお電話がありました。折り返し連絡してほしいそうです」
名間瀬「何!?何か言ってたか?」
堀下「えぇ、不買運動の件でご用件があるとのことです」
名間瀬「う・・・む」
名間瀬は慌てた様子で、広報部へ電話をした。
名間瀬「・・・名間瀬です。すみません、会議中だったので・・・。はい、はい、・・・そうですか、ありがとうございます。あさっての経営会議で報告ですね、分かりました」
堀下が興味深そうに名間瀬の表情を覗き込んでいる。
電話を切ると、名間瀬は一息ついて、自分に視線を送っている二人に気付いた。
名間瀬「不買運動は一件落着だそうだ。例の社長とも話がついたらしい。あさっての経営会議で広報部から結果報告することになったそうだ」
仲山「そうですか、それは良かったですね」
名間瀬「まあな、ただ、今回はダメージが大きすぎる。営業的な損失も大きいが、我がIT部門にとって佐藤さんを失ったことは被害甚大だな」
堀下「佐藤さん、大丈夫でしょうか。退任のご挨拶のときはかなり疲れた様子でしたけど」
仲山「さすがの佐藤さんも、堪らないでしょうね。娘さんは、あれから学校に行っていないって言ってたけど・・・」
名間瀬「うむ・・・まあ、今は仕事どころではないだろう・・・さあ、今日はもう帰ろう。二人とも、どうだ、一杯やっていくか?話の続きは店でやろう」
仲山「了解っす!」
名間瀬「堀下はどうする?」
堀下「あ、はい、もちろん」
仲山「あれ?資料直しは?」
堀下「不買運動の件、私もいろいろ知りたかったんです。次長にせっかく誘っていただいたのに、お断りする理由はありませんから」

三人は身の回りの片づけを終えると、足早にエレベータホールへと向かい、彼らのオフィスフロアのある20階から高速エレベータで一気にエントランスフロアまで降りた。夜間は防犯上、正面玄関から出入りが出来なくなっているので、受付ブースを横切り、時間外通用口から外へ出ることになる。通用口の横に立っている警備員に名間瀬が「お先に!」と軽く手を挙げて言った。

エントランスフロアは他のフロアより天井が高く、来客用のソファやテーブルが余裕を持って配置され、近代的なビジネス空間を演出している。サンプル商品が並ぶショーケースは常時スポットライトで照らされていて、外からもガラス越しに眺めることが出来、街を歩く人も楽しめる設計となっている。正面玄関の対面に位置する受付ブースの上方には太陽を象った大きなロゴマークが掲げられている。ここは、東京の汐留にある株式会社サンドラフトビール(略称:サンドラフト)の本社ビルだ。

サンドラフトはビールを中心とした酒類製造販売の中堅企業だ。この業界ではビッグ2と呼ばれるユウヒビールとキラリビールが激しいトップ争いを繰り広げており、その後を追う老舗企業のホテイビールに続き、サンドラフトは業界シェア4位に位置している。日本におけるビール業界は、戦後の高度成長期から企業の勢力図に大きな変化が無く、安定的な成長を遂げてきた。しかしながら、近代においては顧客ニーズの多様化や酒税法改正によって出現した発泡酒飲料やリキュール飲料などによる商品競争、価格競争が激化し、合従連衡、業界再編も現実味を帯びつつある。そのような状況において、サンドラフトはホテイビールのグループ会社であるホテイドリンクの優れた物流システムに着目し、ホテイビールもまた業界での生き残りを賭けた経営統合を視野に、3年前にホテイドリンクとサンドラフトの物流システムを統合する業務提携に合意し、共同物流事業を開始するための設立準備会社「株式会社HSロジスティクス」を立ち上げたのだった。

HSロジスティクスの設置に合わせて、両社の物流システムの統合プロジェクトが立ち上がり、約2年間の開発期間を経て第1期統合システムが稼動を開始したのが約1年前だ。この統合システムの開発は、自社の業務プロセスに拘りのあるサンドラフトの物流部門からの強い要望で、度重なる要件変更が発生して開発スケジュールが大きく遅延した。しかしながら、時機を優先した経営判断によって大幅に機能を縮小した形で、当初計画通りの時期にリリースを断行したのだった。ところが、この統合システムは相対的に優位性のあるホテイドリンクの物流システムをベースとしたものであったため、サンドラフトの業務プロセスへの適合性に問題を抱えた状態でのリリースとなり、その結果として、本来の目的であった配送リードタイムの短縮は、ほとんど効果を出せず、社内外の期待を大きく裏切ることとなってしまった。

(つづく)

シスアド達人倶楽部・山中吉明(2019/1/10)