#2.サンドラフト不買運動

会社を出た三人は、汐留のオフィス街を抜け、JR新橋駅に近い東海道線のガード下にある名間瀬が行きつけの居酒屋に入った。数人分のカウンター席と4人がけのテーブル席が3つほどのこぢんまりとした店内に入ると、顔なじみのおかみさんが「あら、いらっしゃい」と笑顔で迎えてくれた。空いているテーブル席に案内されると、早速、今日のおススメのメニューが書かれたボードとおしぼりを、おかみさんが持ってきてくれた。

おかみさん「今日のおススメはカツオのお刺身ね。全員、生ビールでいい?」
名間瀬「ああ、それじゃカツオを食べよう。あとは適当につまみをお願い。みんな『太陽の生』でいいな?」
仲山、堀下は「もちろん」と頷いた。『太陽の生DRY』はサンドラフトの看板商品だ。
上着を脱いで壁掛けハンガーに掛けていると、すぐにジョッキが運ばれてきた。
「それじゃ、おつかれさま~」
三人はジョッキを持ち上げて乾杯すると、ゴクゴクと喉を鳴らしながら良く冷えたビールを味わった。

ふと、後から来店してきて隣のテーブルに陣取った若い男女3人組の話し声が耳に入ってきた。
男A「俺は生中ね、あれ、サンドラフトしかないのか、この店・・・う~ん」
女「私はグレープフルーツサワーで」
男B「おつまみは、カツオのお刺身がおススメだってよ。“新鮮!直送!”って、うまそうじゃん」
男A「そうか?“新鮮”っていっても、怪しいぜ? サンドラフトみたいに、調子のいいことだけ言ってるのかも。」
女「ちょっと、お店の人に聞こえるわよ」
男A「やっぱり今日はビールじゃなくて、ハイボールにしとこう。まずはカシスハイボールで」

配送リードタイムを短縮し、新鮮なビールを販売店に届けるサンドラフトの取り組みは、統合システムの稼働前にテレビの人気番組に取り上げられ、大好評を博した。しかし、業務プロセスへの適合性が不完全だったことに加え、統合システムの稼働開始後に頻発したトラブルは、サンドラフトの在庫管理・配送管理に悪影響を与え、一時期はリードタイム短縮どころか、従来よりも遅くなるほどだったのだ。サンドラフトは速やかに事態の収拾に動いたが、対外的にはこの事実を公表せずにいたところ、ある販売店の経営者がネット上にこの事実を流出させてしまった。テレビ番組が、サンドラフト現場の真摯な姿勢を伝える良質なコンテンツだったことの反動で、番組に感動した視聴者から余計に反発され、ネットが荒れ始めたところに、サンドラフト社員のソーシャルメディアへの軽率な投稿からネット炎上が発生し、サンドラフト商品の不買運動が起こってしまった。この状況に対応するため、サンドラフトのIT企画部と広報部は、名間瀬次長のコネクションで社外専門家に協力を要請し、早々に事態の沈静化に成功した。しかし、サンドラフトの顧客対応の弱点はネット上で密かに流布され、風評リスクが水面下で高まっていたところに、サンドラフトが新規に立ち上げたソーシャルメディアを使った営業戦略の些細なミスをきっかけに、炎上仕掛人たちにつけ入る隙を与えてしまい、ネット上のバッシングを再燃させてしまった。更に、当時サンドラフトのCIOだった佐藤光一が、雑誌の取材でシステムトラブルの原因を釈明する際にパートナーであるホテイビールの批判とも取られる発言をしたことから、サンドラフトのみならず佐藤個人を誹謗中傷する記事が掲載されてしまった。後姿ではあるが、一人娘が制服を着た写真までが掲載され、佐藤の家族は両親の住む実家に一時避難するまで追い込まれることになった。

佐藤光一はサンドラフトの企画戦略畑のエースとして順調にエリートコースを進み、5年前にIT部門のトップである専務取締役兼CIOに就任した。あくの強い性格から敵が多かったが、社内政治に長けており、経営戦略への高い貢献を評価されて、次期副社長との噂も出ていたほどの人物だ。その当時のIT部門は、新しい営業支援システムを構築するプロジェクトが進行中で、PMO組織であるIT企画推進室が設置され、推進室メンバーの活躍でプロジェクトは成功を収めた。その後、ホテイドリンクとの統合システム開発プロジェクトがスタートし、佐藤は引き続き統合プロジェクトのトップエグゼクティブの地位にあった。

隣席から自社の話が聞こえてきたことで、暫し言葉を失った三人だったが、気を取り直すように仲山が口火を切った。
仲山「まあ、頑張っていきましょう!俺たちが下を向いていたら、ますますお客さんが離れて行っちゃいますから」
堀下「そうね、その通り。誠意と誇りを持って仕事しなくちゃね」
名間瀬「その通りだ。これから統合システムをしっかり立て直していかなきゃならないんだからな」
仲山「それにしても、佐藤さんは何で雑誌記者にあんな発言をしたのでしょうか。ホテイから言われるがままに必要な要件を削りすぎただなんて」
名間瀬「真意を直接お聞きしたわけではないが、統合プロジェクトはホテイが実質的にコントロールする状況になっていたからな。サンドラフトのメンバーに対する皮肉を込めた言葉だったのかもしれないな」
堀下「でも、あの雑誌の書きぶりでは、読んだ人はサンドラフトがホテイに責任をなすりつけているとしか感じないですよ」
名間瀬「色々なことが重なってしまった。少なくとも、販売店に渡ってはいけない商品が実際に渡ってしまった。お客様に直接の迷惑がかからなかったからまだ良かったが、うちのニュースリリースが遅れたことで、世間からの印象が非常に悪くなってしまった。そこに業務提携の痴話話とくれば、マスコミは喜んで飛びつくだろう。ココだけの話だが、脇が甘かったとしか言いようがないな」

マスコミに公表された佐藤の一連の発言は、サンドラフトとホテイビールの社内でも波紋を呼び、業務提携そのものに冷や水を浴びせることとなった。佐藤の発言は、CIOとして統合プロジェクトのトップエグゼクティブの立場であるにもかかわらず、システムトラブルをホテイビール側のプロジェクト推進に問題があったと暗示させるものだった。ホテイビール側はこの問題を統合プロジェクトのステアリングコミッティで議題に上げ、世間に業務提携がうまくいっていないことを示唆するような発言をした佐藤の責任を追及した。佐藤はネット炎上がエスカレートして以来、体調を崩して会社に姿を見せることが少なくなり、ステアリングコミッティの場では、佐藤が不在のまま、サンドラフト、ホテイビールの両社長が佐藤の処遇について一任を受ける形でこの議題は幕引きとなった。
そして、その1週間後、グループ傘下の酒類販売会社の株式会社サンドラフトサポートに佐藤が相談役として出向する人事異動が発令された。佐藤はサンドラフトの専務取締役CIO兼IT企画部長だったが、CIOは社長が当面兼務することとなり、IT企画部長はサンドラフトの海外拠点のひとつであるロサンゼルス支店の支店長、大西譲二が就任することになった。
佐藤の実質的な左遷人事が公になり、サンドラフトが改めてホームページや新聞紙面にお詫び文書を掲載したことで、次第に不買運動は終息していくこととなった。サンドラフトの不買運動はネット通販から始まったが、瞬く間に大手スーパーや専売店、そして飲食店まで広がり、数か月に亘ってサンドラフトの営業成績に大打撃を与え、直近四半期の営業収入は前年対比の80%まで落ち込んでいた。

(つづく)

シスアド達人倶楽部・山中吉明(2019/1/10)